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大阪地方裁判所 平成7年(ワ)10343号 判決 1997年6月10日

原告

桝本保

被告

大西弘

ほか一名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告に対し、各自二二四万五三五一円及びこれに対する平成四年一〇月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が、道路を歩行中、被告関西中央自動車株式会社(以下「被告会社」という。)が所有し、被告大西弘(以下「被告大西」という。)が運転するタクシーに衝突され負傷したとして、被告会社に対しては自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、被告大西に対しては民法七〇九条に基づき、損害の賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  被告大西は、平成四年一〇月一七日午後六時三〇分ころ、大阪市中央区心斎橋筋二丁目六番一九号先道路(以下「本件道路」という。)を歩行中、被告大西の運転する普通乗用自動車(和泉五五き一六三六、以下「被告車両」という。)に衝突された(以下「本件事故」という。)。

2  被告会社は、本件事故当時、被告車両を所有して、自己のために運行の用に供していた。

二  争点

被告は、原告の損害について争い、ことに、原告が本件事故によつて受けた傷害は右膝打撲と右腰部捻挫にすぎず、その他は本件事故と相当因果関係がないと主張するほか、本件事故の発生には原告にも二割五分の過失があるから、原告の損害について過失相殺をすべきであると主張する。

第三当裁判所の判断

一  被告大西の過失及び過失相殺について

1  甲第一四号証、乙第一号証及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 本件道路は、東西に通ずる幅員九・二メートルの道路で、そのうち車道部分は六・八メートルで、最高速度は時速二〇キロメートル、西行の一方通行と指定されている。また、車道の両側には各一・二メートル幅の歩道が設けられており、歩車道は白色のペイントにより区分されており、南側の歩道には、車道の南側の外側線に沿つてフラワーポツトが置かれている(本件事故現場の状況は、別紙図面のとおり。)。

(二) 原告は、本件事故当時、本件道路の南側の歩道を東から西へ向けて歩行していたが、本件事故現場付近に自転車が歩道を塞ぐ形で止まつていたため、それを迂回するために車道外側線より車道内に約二〇センチメートル入つた地点で、本件道路を東から西へ向けて進行してきた被告車両の左前バンパー付近に衝突された。

2  右事実によれば、本件事故は、被告大西の前方不注視の過失によつて発生したものというべきであるが、反面、原告にも、車道部分を歩行するにあたり、後方からの車両の有無に十分な注意を払うことなく、漫然と歩道から車道へ進入した過失があると認められ、本件事故の発生には原告にも一割を下らない過失があるというべきである。

二  争点2(原告の損害)について

1  甲第一ないし第一一号証、乙第二ないし第九号証及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 原告は、本件事故によつて、右膝打撲、右腰部捻挫の傷害を負つたが、事故当日はタクシーで自宅に帰り、翌々日である平成四年一〇月一九日に医療法人岡谷会片桐民主病院(以下「片桐民主病院」という。)を受診し、その際、原告は、医師に対し、「タクシーに歩行中右膝をぶつけられ腰をぐねつた。」と説明した。同病院では、同日より、原告に対し、右膝打撲、腰部捻挫の病名で治療を開始した。

原告は、同月二六日のレントゲン撮影の結果、腰椎に側弯があり、第四腰椎外側に陳旧性の疑いのある圧迫骨折があるが、腰部疼痛は第二腰椎部であるとされ、また、右膝には異常はないとされた。片桐民主病院では、原告の腰部痛はかなり強いようであつたため、コルセツトにて固定し、入院を勧めたが、原告がこれを拒否したため、自宅で安静臥床するよう指示をした。

(二) 原告は、平成四年一一月三日、自宅で二階から降りようとして階段を歩行中、上から二段目付近から下まで転落して左下腿を打撲した。原告は、片桐民主病院に対し受診を希望する電話を架けたが、同病院では整形外科医が不在であつたため、原告に医療法人田北病院(以下「田北病院」という。)を紹介した。

原告は、同日、田北病院を受診し、階段下降時右膝痛が強度となつて転落した旨説明し、初診時左膝内側浮腫、創傷があり、医師に入院を勧められたが、原告は通院を希望した。原告には左膝内側に皮下溢血、左下腿内側に腫脹があり、同月一一日には皮下血腫大となり、同月一八日には黒赤色血液五〇ミリリツトルが溢血しているものと認められ、同病院では切開を勧めたものの、原告はこれに応じなかつた。しかし、原告は、その後も症状の改善が思わしくないため、医師と相談し、安静治療のため、同年一二月六日同病院に入院した。同病院では、同月九日ころ原告に対し、左膝を切開し、血腫除去するよう勧めたが、原告は、切開すると左足にハンディを負うと思いこんでこれに応じなかつた。結局、同月一二日、原告は退院を希望して同病院を退院し、以後、平成五年六月二三日まで同病院に通院した。なお、平成四年一二月一七日、原告は、同病院に電話をして、腰痛、左膝痛については以前は全く症状がなかつたことを主治医に伝えて欲しいと言つたことがあつた。

(三) 原告は、その後片桐民主病院において、左下腿打撲を中心とする治療を続け、平成四年一一月九日には左下腿蜂窩織炎の治療も開始され(ただし、平成五年二月八日に治癒)、平成五年六月二一日には、同病院において症状固定の診断を受け、その際、左下腿に浮腫、疼痛あり、左膝の屈曲軽度障害となつているほか、変形性脊椎症を基礎とした腰痛のため歩行がやや困難で、左下腿の軟部組織の損傷が強度で種々の日常生活動作、スポーツ等に困難を極めているとされ、また、左下腿部に色素沈着が認められた。

一方、原告は、田北病院でも、左膝、左下腿打撲、挫傷、左下腿皮下血腫(巨大)の傷病名で治療を受け、平成五年六月二三日には、同病院においても症状固定の診断を受け、その際、左下腿外側痛、圧痛が著名で、正座が不能であり、また、左下腿外側に一五センチ×一五センチの創瘢痕があるとされた。なお、原告は、平成五年六月二三日当時は六二歳であつた。

(四) 原告は、平成六年一月一二日、自動車保険料率算定会調査事務所により、左下腿に掌大に達する醜状及び左下腿部に神経症状を残すものとして、右後遺障害は自賠法施行令二条別表障害別等級表一四級五号、一四級一〇号に該当するとの認定を受けた。

(五) 原告は、平成六年六月一一日から同年九月二日まで、言語障害の傷病名で大和脳神経外科病院に通院した。原告は、同病院を平成二年に二回受診したことがあり、今回は「しやべりにくい」を主訴として通院を再開したもので、同病院では、神経内科学的には軽度の失調性様構音障害と軽度の四肢失調状態が認められたが、眼振及び歩行失調症状はなく、構音障害も診察中の原告に与える状況で変化をきたし、右症状は小脳由来の症状は示唆されるも、診察所見及び病歴上の所見(飲酒で症状軽減する)より、心因性の要素も合併していると判断され、また、平成六年六月一一日から同年九月二日の間で変化なく同時点で少なくとも固定しているものと診断された。

原告は、平成六年九月二日に同病院において症状固定の診断を受け、その際、軽度ないし中程度の失調様構音障害及び両手指の軽度の動作時不規則な振戦様運動障害があるとされたが、頭部MRI上は明らかな病変はないとされた。

(六) 原告は、平成六年八月一一日、大阪大学医学部付属病院眼科を受診し、輻湊麻痺の傷病名で、同日症状固定の診断を受けた。原告は、本件事故後、特に本を読むときに文字がぼやけ、複視もあるとの自覚症状を訴えたが、同病院では、原告には、輻湊が弱で、交換ブリズムカバーテストで近位と遠位の解離があるため、輻湊麻痺が生じた可能性はあるとされたが、年齢から考えて調節障害と老視の鑑別は困難であるとされた。なお、原告は、階段の昇降が困難であるとも訴えたが、同病院では、原告には暗室検査室に入る際には歩行困難な様子はみられなかつたとしている。

(七) 原告は、平成六年八月一六日、大阪赤十字病院を受診し、全身打撲、両膝内障の傷病名で、同日症状固定の診断を受けた。原告は、自覚症状として、腰痛、両手しびれ感、両膝、下腿運動痛、受傷前に可能であつた登山、スキー等の野外活動が不能になつたことを訴え、左右頸部筋から菱形筋まで圧痛があるとされたが、頸椎、腰椎、両膝レントゲン写真には外傷性変化は認めがたいとされた。

(八) 原告は、平成六年一〇月四日から平成七年三月二一日まで岩木病院を受診した。初診時の主訴は右膝痛であり、同病院では、初診時既に右の症状は固定しているものと診断した。また、原告は、平成七年一月三一日には、頸部痛を訴えたため、同病院では、レントゲン撮影の結果、頸推第三、第四間、第四、第五間、第五、第六間、第六、第七間、頸推第七、胸推第一間で椎間腔狭少がみられたほか、頸椎直線性があるとし、頸椎症と診断した。更に、原告は、平成同年三月二日に駅の階段を降りている際に左膝がガクツとなり、その後左膝痛持続していると訴え、この際入院して早く治したいとの希望により、同月一一日から同月二一日までの間同病院に入院したが、その間田北病院で行つたMRIの結果、前十字靭帯不明瞭、後十字靭帯無傷、左外側半月板裂傷とされ、左膝関節運動域はほとんど制限なしとされた。

2  右認定事実によると、原告は、本件事故により自宅で安静臥床中であつた平成四年一一月三日、自宅で二階から降りようとして階段から転落して左下腿を打撲したものであり、片桐民主病院では、原告の腰部痛はかなり強いようであつたため入院も勧めていたのであるから、階段からの転落は本件事故と無関係に生じたものであるとまではいえず、なお本件事故との間に相当因果関係を認めることができるというべきである。しかし、原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故後痛みが激しいため自宅では階段は使用せず一階で臥床していたが、同日は来客があつたため二階におり、一階に降りようとしたところ、膝と腰の痛みの重圧に耐えかね、手すりで体重を支えきれずに転落したことが認められるところ、右によれば、階段からの転落は、原告が痛みが激しかつたにもかかわらず、他人の介助を得るなど適切な対応をすることなく不用意に階段を降りようとしたために生じた面があることも否定できないうえ、前記のとおり、原告は、同日以降は、片桐民主病院では左下腿部を中心とする治療を、また、田北病院ではもつぱら左下腿部に関する治療を受け、そのため、原告が階段から転落したことによつてその後の治療が遷延したものと認められること、また、自動車保険料率算定会調査事務所によつて認定された後遺障害も左下腿部に関するものであることに照らすと、平成四年一一月三日以降原告に生じた損害については、損害の公平な分担という観点からその五割を控除するのが相当である。なお、原告は、本件事故により左下腿部、左膝も打つたと供述するが、これを裏付ける客観的な証拠は全く見当たらず、右供述は信用できない。

また、原告は、片桐民主病院では平成五年六月二一日に、田北病院でも同月二三日には症状固定の診断を受けているから、原告の症状は遅くとも同月二三日には固定したものと認めるのが相当であり、同日以降、原告が左下腿部に関して受けた治療については、本件事故との間に相当因果関係は認められないというべきである。

3  原告の言語障害については、甲第一一号証によれば、大和脳神経外科病院では、右は頭部打撲の後遺症による症状の可能性は否定できないとしていることが認められるものの、右甲第一一号証によれば、右判断は、本件事故の頭部打撲後に徐々に緩徐進行してきたとの原告の申告に依拠するものであることも認められるところ、原告は、本件事故によつて頭部を打撲したと供述するものの、原告は、片桐民主病院では頭部を打撲した事実を申告しておらず、また、頭部打撲によると思われる症状も見当たらず、そのための検査、治療も受けた形跡も見当たらないから、原告の右供述は信用できず、前記に認定した事実のもとでは本件事故によつて原告に言語障害が発症したものと認めることもできないから、右に関して原告が受けた治療は、本件事故との間に相当因果関係は認められないというべきである。

また、原告の輻湊麻痺についても、老視の鑑別は困難であるとされているうえ、乙第一一号証の一、二によれば、昭和六一年一月二〇日当時既に視力障害があつたことも認められ、本件事故によつて原告に輻湊麻痺が生じたものとは認められないから、右に関して原告が受けた治療は、本件事故との間に相当因果関係は認められないというべきである。

更に、原告は、大阪赤十字病院では腰痛、両膝、両手しびれ感、下腿運動痛を、岩木病院では頸部痛を訴えるなどしているが、腰痛及び膝、下腿に関するものは既に症状が固定した後のものであり、また、両手のしびれ感、頸部痛については本件事故との間に相当因果関係は認められないから、これらについて原告が受けた治療についても、本件事故との間に相当因果関係は認められないというべきである。

2  右1を前提にすれば、原告は、本件事故により次のとおりの損害を受けたものと認められる。

(一) 治療費 二万三九七二円(請求二〇万八五七二円)

(1) 甲第一八号証の一によれば、原告は、平成四年一〇月一九日から同年一一月二日までの間に七日、同月三日から平成五年三月八日までの間に三二日間片桐民主病院に通院し、治療費として一万三六四〇円を支出したことが認められるところ、平成四年一一月二日分までは全額とし、それ以降は五割を控除するのが相当であるから、右による合計は八〇四四円となる(円未満切捨て、以下同じ。)。

計算式 13,640÷39×(7+32×0.5)=8,044

(2) 甲第一八号証の二によれば、原告は、平成五年三月九日から同年六月二一日まで片桐民主病院に通院し、治療費として六一九〇円を支払つたことが認められるところ、その五割を控除すると三〇九五円となる。

(3) 甲第一九号証の一ないし六によれば、原告は、田北病院に対し、治療費として二万五六六七円を支払つたことが認められるところ、その五割を控除すると一万二八三三円となる。

(4) 以上の合計は、二万三九七二円となる。

(二) 入院雑費 一万一七〇〇円(請求二万三四〇〇円)

弁論の全趣旨によれば、原告は、田北病院に入院した一八日間に一日当たり一三〇〇円を下らない雑費を支出したものと認められるから、その合計は二万三四〇〇円となるところ、その五割を控除すると一万一七〇〇円となる。

(三) 通院交通費 〇円(請求二二万一〇四〇円)

原告は、通院に際し、長部谷勝利に自動車での送迎を頼み、手当として一六万八六二〇円を支払つたと供述するが、右金額の根拠は不明であり、適切な通院交通費を算定する資料も見当たらないから、右をもつて本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

(四) 松葉杖代 二五〇〇円(請求五〇〇〇円)

甲第二五号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、田北病院から松葉杖を借り、そのための費用として五〇〇〇円を負担したことが認められるところ、その五割を控除すると二五〇〇円となる。

(五) 文書料 二万四一五五円(請求四万五四五五円)

甲第一八号証の一、二によれば、原告は、片桐民主病院に対し、平成四年一〇月一九日から平成五年三月八日までの間に関する診断書料及び明細書料として七五〇〇円を、また、平成五年三月九日から六月二一日までの間に関する診断書料及び明細書料として五五〇〇円を支払つたことが認められるところ、前者については、性質上平成四年一一月三日の前後で区別することは困難なので全額とし、後者については五割を控除した額とすると、その合計は、一万〇二五〇円となる。また、甲第一九号証の一ないし六によれば、原告は、田北病院に対し、診断書料及び明細書料として二万七八一〇円を支払つたことが認められるところ、その五割を控除すると一万三九〇五円となる。以上の合計は、二万四一五五円となる。

(六) 休業損害 五三万四四二一円(請求七〇万四九七六円)

甲第一二号証の一、二、第一三号証、第二七号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時、今里社会保険事務所に社会保険相談員として勤務し、本件事故前の平成四年七月から九月までの三か月間に三七万一〇七〇円の所得を得ていたことが認められるところ、本件事故により、本件事故の翌日である平成四年一〇月一八日から症状の固定した平成五年六月二三日までの間は就労が不能であつたと認めるのが相当であり、かつ、平成四年一一月三日以降の分についてはその五割を控除すると、原告の休業損害は五三万四四一二円となる。

計算式 371,070÷92×(16+233×0.5)=543,421

(七) 逸失利益 二九万二四一一円(請求四三万六九〇八円)

原告の前記後遺障害の内容及び程度に照らせば、原告は、症状の固定した六一歳から就労が可能と認められる一〇年間、労働能力の五パーセントを喪失したものと認められるから、前記収入を基礎に右期間に相当する年五分の割合による中間利息を新ホフマン方式により控除すると、原告の逸失利益は五八万四八二三円となり、その五割を控除すると二九万二四一一円となる。

計算式 371,070÷92×365×0.05×7.945=584,823

(八) 慰藉料 一二〇万円(請求二二〇万円(入通院分一〇〇万円、後遺障害分一二〇万円))

本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、原告が本件事故によつて受けた精神的苦痛を慰藉するためには、一二〇万円の慰藉料をもつてするのが相当である。

三  結論

以上によれば、原告の損害は二〇八万九一五九円となるところ、過失相殺として一割を控除すると、残額は一八八万〇二四三円となる。そうすると、原告は、自動車損害賠償責任保険から一九五万円の支払を受けている(当事者間に争いがない。)から、原告は損害のすべてについててん補を受けたこととなり、もはや被告らに対して損害の賠償を求めることはできないというべきである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 濱口浩)

別紙図面

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